もともと起業志向は強かった。
父の影響もあり、就職活動期から経営者になりたいと考えていたからだ。
2年半務めていたSIerで事件は起きた。
私がお客様からお願いされていた月次の作業があった。
当時は運用代行要員として、お客様先に常駐していた。
サーバーのメンテナンスを行い、報告書を作成する業務を担当していた。
プログラミングを学んだ自分としては、作業を楽にしたいという一心で自動化を試みた。
楽になるということはお客様にとってもメリットがある。
そう考えていたからである。
自動化は2〜3ヶ月で完成した。
お客様からの依頼に今まで以上にスピーディに応えることができるようになった。
ある日、不思議に思ったお客様が、質問してきた。
「何故、ここまで早くなったのか?」
私は業務時間内で自動化をしたことを伝えた。
すると、お客様は直接プログラミングした仕組みを使いたいと仰った。
私は快く説明を行った。
しかし、その日の夜に営業から呼び出された。
どうやら私の仕事がなくなったようである。
目上でもあった営業担当者に酷く叱られた。
私は反発した。
「お客様のためになったプログラムなら売れば良い。
別の仕事を担当させてもらえれば、また自動化を図ります。
やればやるほど、お客様はコストが削減できるし、自分は売り上げが増えて行く筈だ。」
しかし、当時私が就職した会社は非常に保守的な会社であり、改革的な内容を良しとはしなかった。
不満に感じた私は次第に会社の反発分子となっていった。
3年目の若手社員でありながら、5年目までの社員のリーダーとなり、意見陳述書をまとめて社長に送ったこともあった。
結果的に、自主退社のプレッシャーを受けるようになった。
そして退職することになった。
運命のXデーはこの先である。
退職した会社の大先輩が自分の働きを高く評価してくれた。
「自分と一緒に会社を創らないか」
断る理由は特になかった。
26歳の時である。