気がつくと30歳になっていた。
20代後半は就職から創業を経て、あっという間に終わった。
私は結婚をし、身を固めようとしていた。
会社はグループ会社の間借りから脱却して、設立を果たしていた。
社長は共同創業者の先輩がやっていた。
私は執行役員として経営に携わっていた。
グループトップが筆頭株主だった。
社長、私ともう一名の幹部を合わせて3割強の株を持っていた。
経営者としては相変わらず二番手だった。
ある日、グループトップから社長が呼ばれた。
それはグループのホールディングス化を図るという次の説明だった。
・持ち株会社(ホールディングスカンパニー)を新たなに設立し、グループトップが社長となる。
・各社は6社に絞り込まれ、持ち株会社の100%子会社となる。
・持ち株会社には、グループ150名から7名を選抜する。
・6名は株主兼取締役となる。
・1名は監査役となる。
・我々の経営する会社は6社の1つとなる。
・6名は既に選出済み。
・最大規模の会社からは役員3名の選出。
(その中には同い年のライバルも入っていた。)
・我々の会社からは社長が選出。
・残り枠は1名。
社長は怒っていた。
そして、落胆していた。
自分の会社にするという夢が潰えたからだ。
3割強の株式比率を買い戻しによって大きくしていくことが彼の望みだった。
しかし、二番手だった私には寧ろ安堵があった。
無理に独立するよりは、学べる環境で出来るだけ成長したい。
(思えばこの時のすれ違いが後の大事件を引き起こす。)
数日後、グループトップから私が呼び出された。
「ホールディングスの取締役をやってみないか。」
私は驚かなかった。
ライバルが教えてくれていた。
「お前のこと、引き上げようとしているぞ。」
しかし、抜擢であることは間違いなかった。
何故、私なのかという不満は、特にグループ会社の古株の間で囁かれた。
それがトップの逆鱗に触れた。
「私の目を否定するのか。」
私はかくして、ホールディングス入りを果たした。
50代が3名、40代が1名、30代が私とライバルを含む3名だった。
私とライバルは最年少取締役となった。
しかし、株主として誘われなかったので、理由を聞いた。
持ち株数が少ないから無理強いは負担になるとのことだった。
私はすぐさま現金を用意した。