本当は10月に自家造血幹細胞移植をやる予定だった。
9月までに行ったGDP療法はそれなりに奏功したが、3つあった胸の腫瘍を全滅させることは出来なかった。
それでも、自家造血幹細胞移植に踏み切るしかなかった。
だが、ここで問題が発生した。
幹細胞が取り出せない。
幹細胞採取は鼠蹊部からカテーテルを2本入れて血液を遠心分離機で回す。
貧血気味の人は血を大量に引っ張るので気絶する。
私は血の気が多いから、会社と電話しながら最高速度で出来た。
だが、肝心の幹細胞が取り出せなかった。
幹細胞は骨髄で作られる。
通常は骨髄にしかいない。
抗がん剤で白血球の数が激減させた後、白血球を増やす薬を注射し続けると幹細胞が激増して血管に溢れ出てくる。
それを遠心分離機にかけて取り出す。
取り出した幹細胞は冷凍保存して、移植の時に使う。
しかし、私は免疫が普通の人より強いようで、抗がん剤で白血球があまり減らなかった。
そのせいもあって、幹細胞が上手く取り出せなかった。
通常はGDP療法が終わった後、3〜4日で100%採取できることが多いらしいが、私は25%しか採取出来なかった。
骨髄が疲れてきたこともあり(無理をすると白血病を併発する)、3週間の休憩の後に再入院して、もう一度挑戦することになった。
再入院ではエンドキサンという抗がん剤を大量投与した。
移植に準ずるぐらいの毒性と量だった。
厳しい投与だった。
過去9回の抗がん剤と比較して、最も辛かった。
しかも、目的が治療ではなく、幹細胞採取の為なのである。
精神的にもかなり堪えた。
しかし、残念なことに幹細胞は取れなかった。
骨髄はさらに疲弊し、輸血も行った。
自家造血幹細胞移植は不適合となり、ドナーを探すことを薦められた。
1年間はアドセトリスという病気の進行を止める薬を投薬し、ドナー探しと新薬を模索することにした。
しかし、2週間後の検査で意外な結果が出た。
奏功が期待できないと言われていたエンドキサンが効いたのだ。
腫瘍が殆どなくなっていた。
そして、再度2週間後に検査を行うことになった。
なんと、腫瘍はカスを残して全滅していた。
カスは新陳代謝で時間と共に消えるレベルだという。
比較的ネガティブなことを伝えてくる主治医が言った。
「寛解です。おめでとうございます。」
意外な展開だった。
1年半、闘病生活を続けてきて初めて寛解宣言を受けた。
寛解とは、検査レベルで癌が治ったことを意味する。
しかし、血液中に僅かに残っている癌細胞から復活する可能性があるので、5年経たないと完治とは言えない。
私の病気は難治性なので、駄目押しの治療をやるべきだと言われた。
「アドセトリスをやって、根治を目指しましょう」
思いもかけない寛解宣言に目の前のトンネルが遠ざかった気がした。
「まだ運が尽きていない」
そう思った。
update!
→11/14から一週間入院してアドセトリス治療を開始することになりました