やっとブログを書けるようになった。
移植後は壮絶だった。
嘔吐、下痢、身体のムズムズ感、痺れ、浮腫み、腹痛が同時に襲って来た。
特に嘔吐とムズムズ感は耐え難い。
嘔吐は食事をすると、半日後まで吐き気が続き、最後は出てしまう。
毎日、食欲はあるが食べると出るという悪循環から、徐々に食事量が減っていった。
今はお粥しか食べられない。
栄養士さんとのコミュニケーションで嘔吐は抑えられるようになった。
吐き気はもはや仕方ない。
ムズムズ感は身の置き所がなくなる感じだ。
実はこれが一番辛い。
集中力がなくなり、3秒毎に体勢を変えないと、居ても立っても居られない。
これは薬の副作用であり、一度なると12時間はそのままだ。
対処法がなく、薬が抜けるのを待つしかない。
そこに腹痛と下痢が付き纏う。
もはや平常心でいられなくなってくる。
約一週間は試行錯誤の繰り返しだった。
飲み薬は1日50錠。
点滴は3リットル。
免疫抑制剤という移植細胞の拒絶反応を押さえる薬も投与する。
組み合わせを医師、看護師、薬剤師さんと相談しながら微妙にコントロールしていく。
何かを強くすると違うところに問題が出てくるので、全体のポートフォリオを調節していく。
まさに投資家ならぬ投薬家である。
そこに輸血が入る。
赤血球、血小板を足して行く。
血小板は白濁色の液体だ。
素人目には輸血と分からない。
しかし、赤血球は真っ赤なのだ。
透明のパックに入っているので肉の塊肉にも見える。
看護師の話では、生々しいから袋を掛けてくれとお願いする患者もいるらしい。
私には美味しそうにしか見えなかった。
久しぶりに焼肉が食べたくなった。
しかし、たまの検査で病棟に降りると一般外来の患者さん達からは冷ややかな目で見られた。
(あの人、若いのに重病人よ…)
薄っすら声が聞こえてくる。
点滴棒に着いてる数が多く、赤い輸血が特に目立つ。
(あなた達より生気は上だ!)
強い目線で睨み返してやった。
閑話休題
一番助かったのは医療モルヒネだ。
痺れと腹痛には効果覿面だった。
スイッチを押すと身体中に麻薬が回る。
フワッとした感覚で痛みが消える。
癖になるので、何回も押してしまう。
しかし、入れすぎると吐き気を催す。
私はできるだけスイッチを押さないようにしたが、日に何度かはお世話になった。
しかし、これらは実は免疫反応への対処ではない。
事前治療による身体のダメージがマックスになったことによるものだ。
事前治療では抗ガン剤を大量に投与する。
今までの約10倍の量。
ドナーさんからの移植だと、ここまでだった。
しかし、臍帯血は赤ちゃん細胞であるので、私の中の残党リンパ球達と喧嘩をすると負けてしまうこともあるらしい。
その場合、再度移植をしなくてはならない。
なので、徹底的に残党細胞をやっつける為に放射線を全身に浴びた。
抗ガン剤は血管しか通らないが、放射線は全身に隈なく当たる。
駄目押しの治療だ。
負けず嫌いの自分が、初めて負けることを望んだ。
しかし、前述の通り、その副作用は過去2年で経験したものと比較にならない強さだった。
そんな中、遂に先生から朗報を頂いた。
どうやら赤ちゃん細胞が勝ってきているらしい。
毎日、顕微鏡で血液を覗いてくれていたのだ。
徐々に身体の中で増えて生着に向かっているとのこと。
私は思わずガッツポーズをした。
そして、その夜熱が出た。
皮疹が出た。
涙も出た。
涙以外はDAY9FEVERと呼ばれる拒絶反応であり、もはや嬉しい。
「赤ちゃん細胞が十分な量に達するのは2週間くらいかかります。感染には注意してください。」
油断大敵ではある。
しかし、抗ガン剤が抜けてきて、投薬ポートフォリオが出来上がってきたので、私にはさほど問題ではなかった。
移植が第一関門なら、生着は第二関門。
今回、第二関門の扉をこじ開けるきっかけを掴んだ。
赤ちゃん細胞軍が雪崩れ込むのは時間の問題だ。
そこから一度陣形を整え、戦力と体力の回復を待つ。
赤ちゃんリンパ球はあっという間に戦力になる。
その間も赤ちゃんリンパ球による攻撃は行われるが、もし戦力が足りない場合は、オプジーボと呼ばれる薬を投薬することによって、免疫のブレーキを外し攻撃力を高める。
幸いにもオプジーボは高額医療だが、既にホジキンリンパ腫には保険適用が決まった。
最後の砦は育った赤ちゃん細胞を使って、私を苦しめたがん細胞を全滅させることだ。
必ず血祭りに上げて、勝鬨を上げる。
二次発癌への対策はそれからだ。