震災から一年過ぎた頃、グループ全体でオフィスを一つにすることになった。
また、グループ全体で社員旅行にも行った。
急速に一体感が強まっていた。
社長は怪訝そうな顔をしていた。
離脱と株の買い戻しが益々難しくなっていたからだ。
そして、あまり会社に顔を出さなくなった。
社長は他にも会社を経営していた。
私を含め、周囲は詳しく知らなかったが、グループトップの承認を取っていた。
採算が取れていれば特に問題はなかった。
だが、この時期、採算が悪化していた。
月次での赤字が3ヶ月連続で起きていたのだ。
そんな中、一人の営業マンが入社してきた。
40代前半の元ラガーマンだった。
金曜日夕方に決まり、翌月曜日からというスピード入社である。
この頃、社長は中国にいることが多かった。
奥さんが中国の人で、親族への結婚後の挨拶と聞いていた。
私は国際電話で社長に電話をした。
すると、ソーシャルマーケティング事業の為だと言われた。
私は「面接もしていない相手では責任が負えない」と伝えた。
すると、口論になる間も無く電話を切られた。
事実、元ラガーマンは社長の命令しか聞かなかった。
私の言うことは全く響かない。
元ラガーマンは、翌週から契約社員を使い始めた。
社長の許可を取っているとのことでパソコンを用意するように私の部下に指図していた。
それにも関わらず、営業マンは成績を全くあげなかった。
私は不審に思った。
彼の印象は悪かったが、実力者であると感じていたからだ。
(もしかしたら、他の仕事をやっているのでは…)
そう思わせる材料は十分にあった。
この半年、不可解な現象が幾つも起きていたのだ。
あるところでは、取引先の方から社長が別の名刺を持ってLED電球を売りに来たと言われた。
また、知人を自社に勧誘した時のこと。
社長面談後に連絡がつかなくなったこともあった。
暫くしてから社長の別会社に入社したとの噂をライバル会社の営業マンから聞いた。
その他にも空の接待疑惑が上がったこともあった。
奥様が関係しているお店に30分だけ付き合わされたとの声が方々から入ってきていた。
しかし帳簿を確認すると30分とは思えない金額が多数計上されていたのだ。
その他にも多数の疑惑が浮上していた。
そして、極め付きの元ラガーマンである。
私は元ラガーマンに遜り、営業の教えを請いたいと食事に誘った。
武勇伝を一通りお聞きすると、私は笑顔で質問した。
「それで、もう一社(社長の別会社)では、どんな営業プランをお持ちなんですか?」
彼は答えた。
「何だ。聞いていたんですね。」
私は答えた。
「もちろん、知っていますよ。」
不信感が確信に変わった。