朝一番で新幹線に飛び乗った。
病院に駆けつけると、すぐさまNICU(乳幼児集中治療室)に連れて行かれた。
若い男の先生が簡単に挨拶を済ませると、第二子が既に生まれたことを伝えられた。
「おめでとうございます。」
乾いた祝福だった。
声色から、あまり喜べないことを悟った。
案の定、息子に会うと既に土色をしていた。
7ヶ月、1000g強での出生は過酷過ぎた。
息子は死と直面していた。
「72時間が勝負です。」
長男は疎開先に同行していた義父が見ていた。
私が仕事にかまけている間に、妻は傷ついていた。
暫く義父の実家に泊めてもらうことになった。
次の朝、病院に行くと医師が慌てて処置をしていた。
「容体が急変しました。」
脳の血管が切れて、大量出血しているという。
また、小水が全く出ていない。
私は頭の中が真っ白になった。
愛情と非情、希望と絶望、倫理と法律。
私と妻だけではなく、親戚まで巻き込んだ大騒動となった。
一週間を過ぎた頃、息子に命名して戸籍を提出していた。
しかし、息子は三週間後に他界した。
私は我が子の最期を忘れない。
小さな身体で必死に生きようと頑張っていた。
呼吸器を外して直ぐに逝った。
苦しまずに済んだ。
葬儀も行った。
冷たい息子と過ごした一晩、妻と話していた。
「今が人生の底だな」