大学3年の時に全日本サーフィン選手権で25位になった。
初めて出て4回戦まで進んだ。
まぐれだった。
私は5年がかりで東京代表の座を獲得すると、その年に東京勢の中で一番の好成績を収めた。
その年の秋に行われる東日本サーフィン選手権の東京代表に選ばれた。
東京で2名だけの選出だった。
私は有頂天になった。
金髪にして派手な格好をした。
しかし、見かけほどの実力はなかった。
敢え無く2回戦で敗退した。
その頃、ライダーにならないかという誘いが幾つか来た。
サーファー向けの洋服ブランド、サーフショップ、ウェットスーツメーカーの順だ。
サーファー向けの洋服ブランドは、ライダーというよりは在庫品のお下がりを貰っているだけだった。
サーフショップは自分が所属してない店からの誘いだったが、長年お世話になったサーフショップを裏切れずに断った。
ウェットスーツメーカーはサーフショップ経由で有名どころからのオファーが来たが、通っていたサーフショップの店長が実力が伴わないと断ってしまった。
こんなことなら、他のサーフショップのライダーになれば良かったと当時は後悔した。
私は次第に大会で勝てなくなった。
周囲から一発屋と揶揄された。
自信を喪失し、サーフィンが楽しくなくなった。
周囲の期待を感じれば感じるほど、自分が嫌いになった。
その頃、サーフィンの師匠に紹介され、銀座のダイニングバーでアルバイトを始めた。
丸の内OLのお姉さん達の相手をするのは楽しかった。
大人の世界を知り、夜の生活から徹夜で海に行く。
アスリートとしては失格だ。
暫くして、母が倒れた。
その時初めて自分が大黒柱にならなくてはいけないことに気がついた。
私はプロサーファーの道を諦めて就職することにした。