花柳界

生まれも育ちも人形町である。

人形町は人形師が沢山いたことからついた名前と聞いている。

その昔は旧吉原と呼ばれた地である。

今でも我が家の近くには大門通りという通りが残っている。

「吉原大門」の「大門」である

吉原炎上後、遊郭は現在の吉原に移った。

また、昭和の時代は花柳界が栄えていた。

一見さんお断りの料亭が沢山あり、芸者が接待をする社会である。

そこは自民党55年体制の裏舞台だった。

客は企業の重役や政治家などだ。

花柳界のシステムでは、料亭を通じて見番(派遣組合のような存在)に依頼が入る。

見番から置屋とよばれる芸者を抱える家に連絡が入り座敷に上がる。

置屋は芸者を複数抱える。

10代の時に養子縁組するのが一般的らしい。

私が生まれた家は置屋だった。

母はエリート芸者だった。

今でも覚えているが「財界」や「日本経済新聞」を購読していた。

また、日本舞踊や小唄を人間国宝の師匠から教わっていた。

私が生まれてからは頻度は減ったが、それでも馴染みの客が来ると座敷に上がった。

その間、私は料亭の台所で女将さんや板さんに遊んでもらいながら母を待っていた。

今はない”すみや”という料亭のローストビーフが好物だった。

私は非常に可愛がられて育った。

片親が一般的でなかった時代に父がいなかったせいもあるが、母の人望だったのだろうと思う。

周りのお姉さん(おばさんと呼ぶと大変な目に遭う)達も私のことを我が子のように可愛がってくれた。

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