何故エンジニアになったのか

私は高校留年している。

もともとの同級生より1年遅れて高校を卒業した。

今となっては良い経験と言える。

それまで横並びを意識した人生だったが、挫折を経て自分の道を決断して歩むことを覚えた。

大学卒業するときも横並びの発想はなかった。

私の卒業した大学は三流だった。

企業への影響力は皆無。

派閥など存在しない。

同年代で最も良い企業に入れた友人は90社受けて本田技研に入った友人だ。

それが伝説になるほど就職難だった。

私も例外ではなかった。

そんな中、就職課のアドバイスは、営業職を目指すべきという内容だった。

当時、国際学部卒業見込みの私はエンジニアとは程遠い世界にいた。

就職課が薦めるのは就職に失敗しないこと。

スポーツマンに見えた当時の私には、営業マンの道しかないと薦めた。

私は就職課に相談するのを辞めた。

なんてつまらない発想だろうと思った。

自分は営業マンとしては一流になれるだろうか?

ホスト上がりや超体育会系のポテンシャル高き同期と競って勝ち目はあるのだろうか?

私は直感的に埋もれると感じた。

逆に、エンジニアの友人に話を聞くと、出て来る愚痴はパートナー企業の方とのコミュニケーションについてだった。

私には簡単な内容だった。

そして…

もし、最低限のことさえ覚えれば、エンジニアの世界では自分のようなタイプは貴重なのではないか。

実際に働き始めると、それは当たった。

「歌って踊れるSE」と入館証に書いてタバコを吸っていた。

「じゃあ、飲みに連れて行ってやるよ」と声がかかるようになる。

私は可愛がられた。

貴重な人材として重宝され始めた。

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