3年前、私はあることに気がついた。
家の墓に父がいないことだ。
刷り込みとは怖いものである。
幼い頃から家の墓に父がいると教えられてきたので、ずっと手を合わせて来てしまった。
だが、よく考えると家の墓に眠っている筈がないのだ。
私は父の墓参りを一度もしたことがないことに気がついた。
父の墓を探すことにした。
母に尋ねても知らなかった。
私は図書館で命日前後の新聞を探した。
父の訃報が載っていた。
長野の善光寺で葬儀を行ったと書いてあった。
私は善光寺に向かった。
善光寺で父の墓を聞いたが教えてもらえなかった。
流石、国宝指定されるお寺である。敷居が高い。
正面から行っても駄目なので私は周囲の人に聞き込みを行った。
善光寺は父の会社が補修工事を昔から行っているらしい。
地元では名士だったのだろう。
悪く言う人は誰もいなかった。
私は父や一族の大きさを感じた。
しかし、墓の場所は分からなかった。
父の会社が美術館を経営していることが分かった。
美術館は山の側にあった。
私は美術館に向かったがその日は閉館していた。
近くには父の会社の関連施設がたくさんあった。
きっとこの近くの墓に違いない。
長野は盆地なので、きっと盆地を見下ろすような山に違いない。
美術館と善光寺や父の会社が一直線で見えるような山。
私は勝手な推理を始めた。
名士の建築会社なら、きっと一番いいところに墓をつくる。
私があたりをつけた方角に寺は3つあった。
私は端から行ってみた。
2つめの寺が壮観だった。
まるでトトロの森。
「ここだ」
直感的に私は車を止めた。
「すみませーん」「すみませーん」
誰も出てこない。
長い階段には石碑が幾つも立っていた。
その一つに父の名前が彫ってあった。
「間違いない」
私は確信した。
しかし、墓の場所が分からない。
暫くするとお爺さんが階段を降りてきた。
「ここは⚪︎⚪︎家の墓ですか?」
お爺さんは答えた。
「そうです。私は住職です。貴方は誰ですか?ここは一般の人が来るところではありません。私は⚪︎⚪︎建設から依頼されて、お墓をお守りしています。誰でも通すわけにはいきません。」
私は答えた。
「幾造の息子です。」
住職は目を丸くして驚いた。
「なんと…」
「貴方がいつか必ず来ると30年前にお父さんは仰っていました。さ、どうぞ。」
住職は階段を上り始めた。
「叔父さん(父の兄)は貴方のことを心配してました。つい先日まで元気だったのですが…」
「しかし命日にはお父さんの会社の方たちが未だに墓参りに来られます」
「その時は奥様もいらっしゃるので、どうかお会いになりませんように。」
どうやら、父の正妻は私の存在をよく思ってないらしい。
(当たり前か…)
私は心のどこかで、父の話を聞いてみたいと思っていたが、現実を知った。
(腹違いの姉が二人いる筈だが、同じかもな…)
父の墓に着いた。
普通の墓と違って、敷地が大きい。
土がびっしりと敷き詰められていて、奥の方に墓石が立っている。
「ごゆっくりどうぞ」
住職は階段を降りて行った。
私は線香をあげると、父の墓の前に座り込んだ。
「お久しぶりです。お父さん。」
30年ぶりの再会だ。
色んな思いが込み上げてきたが泣かなかった。
父の前で泣くのは抵抗があった。
私は母に電話をした。
母には父の墓を探しに行くとは伝えていない。
「今、どこにいると思う?」
母は答えた。
「お父さんのお墓でしょ。見つかったの?」
バレバレだ。見つかったと伝えると続けてこう言った。
「戒名が墓に書いてあるでしょ。メモして来なさい。」
どうやら私の行動は父にも母にも筒抜けのようである。
私は戒名をメモしようと思ったが、難しい漢字なので携帯で写真を撮ることにした。
墓の写真を撮るなんて罰当たりだが、周りには誰もいない。
私はカシャっと写真を撮った。
しかし、よく見ると周りにはご先祖様のお墓がたくさんある。
「幾三の隠し子が何やってんだ」
そう言われそうな気がした。
私はご先祖様にも線香をあげようと思った。
しかし、どこまであげていいものか…
父のお母様はきっと私のことを不憫に思うだろうからご挨拶を…。
父のお父様は私のことをもしかしたら邪魔者扱いするかもしれないけど、それでもご挨拶を…
親族の方々は…やめておこう。
ということで、直系のご先祖様だけにお線香をあげた。
陽も暮れてきた。
私は自分の足跡を消した。
あれだけ隠し子と言われることが嫌だったのに土足の足跡を残すことは流石に失礼だと感じたのだ。
「お父さん、また来ます。」
私は住職に挨拶をして帰った。
帰りがけに住職に連絡先を聞かれた。
メモ書きを残して名刺をいただいた。
特にあれから連絡はない。私からもしていない。
翌年、命日を一週間外して妻と子供を連れて行った。
それから、癌になって行かなくなった。
寛解したので、次は命日に行く。