留年

中学校2年の時は優等生だった。

何回か期末試験で学年トップを取ったことがある。

2年生の途中で友人関係が変わり、私は悪友たちと連むようになった。

次第に生活は荒れ、学校の成績も下がっていった。

70以上あった偏差値が、3年生の時には65まで下がっていた。

殆ど勉強をしなくなった。

傾向と対策が必要だった私立を受験したが、勉強不足の私は片っ端から落ちた。

しかし、都立の受験は殆どが2年生までに習ったことだった。

一般受験で都立九段高校に入学することが出来た。

私は高を括ってしまった。

中学生の時は各校でそれなりに成績のよい者たちばかりが集まっていた。

2年生の冬から一切勉強していない私が着いていけるわけがなかった。

最初の期末テストで下から数えた方が早い結果だった。

私は内心ショックだったが、現実を受け入れることが出来なかった。

競って負けることから逃げ、さらに勉強をボイコットした。

弱い自分を隠そうと、悪友たちから教わったことを武器に悪ぶった。

大した理由もないのに喧嘩をしたり、先生に悪態をついた。

もう自分では止められなかった。

5段階で1の評価が3科目ついた。

1科目でもあったら留年である。

そして、担任が家に来た。

留年することを勧められた。

私は拒んだが、母はこう言った。

「自分の責任なんだから、最後までやりきりなさい。」

生まれて初めて責任というものを考えた。

腹の底から自分が情けないと思った。

全て自分のせいだと後悔した。

私は、あと3年、高校に通うことを決心した。

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